"Food" for thoughts...literally.

誰かが共感してくれたら嬉しい。

8年の専業主婦生活後に復職して。浦島太郎になったけど、悪くない。

専業主婦8年間の生活の後、復職した。

まずは、派遣社員で少し働いてみた。

浦島太郎の気持ちを味わった。

オフィスやメールやチャットツールが変わってた。

でも変わってないこともあった。

人は心を開いた人に心を開くし、

仕事だって優秀かどうかより、

一緒に働きたいと思う人かどうか、

自分にとって感じがいいと思える人かどうかが(自分と似てるかどうか)が大事で、

それだと優秀だ、なんて言われる。

 

要は、相性だ。

 

残念ながら仕事ができるできないかは、

上司や同僚との相性、おもに年齢が近いかどうか、

性別が一緒が一緒かどうか、同じ生活をしてきたかどうか、

それで決まる気がする。

それはもう、10年20年経っても変わらないんだなと。

だから、転職や異動は早く言い出したほうがいいと思う。

どっかの映画できいたセリフっぽいが、

とにかく人生は短い。

そして、できれば人が多い都会の方が、多種多様で生きやすい。

 

それで、当たり前だが私は歳をとっていて。

と言うことは、周りには若くて賢く気の強い優秀な子たちがいて。

かつて私もああ言う、尖った子たちだったのだろうか。(優秀かはともかく)

 

若いときは毎日が苦しかった。

社会で起こることは、知らないことばかりで、

自分はできないことばかりで。

みんなが魔法使いや先生のように知識豊富な人ばかりに見えて。

自分は何も知らないし、出来ないし、世間知らずだし、経験もしたこと無いし、

なんてダメなんだ、ダメだダメだダメだと毎日自分を責めて生きてた。

だからか他人にも厳しい。

 

泣いて苦しんでた私に先輩が言ってくれた。

「今は辛いと思う。でもね。その内こんなもんかと思う。

なんとなく社会の仕組みがわかる。

どうすればいいかがわかったり、なんとかなると思えるようになる」と。

それは先輩が優秀だからでしょう?わたしはきっと一生そうは思えない。

そのときはそう思ってまた泣いた。

 

でも今はわかる。

45を越えてやっとわかった。

遅いかもしれないけど。いいの。わかったんだから。

 

そして中年を過ぎた私は、

こうやって働くことはもう二度とないかもしれないから

思ったことはってみようと思うことができている。

失敗してもいいかな、そん時は悪いけど辞めちゃおうと実は思ってる。

たとえ、大失敗をしても、そしてたぶん、そんな致命的な大失敗は、

しないだろうなと思える。あるいはしても多分大丈夫。

裁判沙汰になっても、それもなんか大丈夫と思える。

でも多分そんなことは起こさないと思う。

少なくとも故意には。

今はそう思える。

 

それもこれも歳をとったから。でしょう。色々と経験したからなのかも。。と。

 

世の中には、捨てる神あれば拾う神あり。

万事塞翁が馬。

隣で座っていた人が、次の日なくなったと連絡がきたりしたこともある。

出産で死にかけたし、明日私が事故や病気でいなくなるかもしれない。

 

病院のベッドでなんであんな些細なことをためらったのだろうと思う事があるだろう。

それはちょっとさみしい。単純に動いていたらどうなってたか気になるだろう。

だから、いまはそれをちょっと思い出したりして、やってみたりすることにした。

 

そしてそう思うってことは、もうそろそろ死ぬ前にしておきたいことを、

書きだす年齢だと言うことかもね。

体力的にも知力的にも経済的にも。

うん書き出してみよう。

 

それから、8年間の出産育児専業主婦で学ぶことは色々あって。

結構復職後に役立つこともたくさんあって。

それは発見だった。

きっと働き続けていたら小さな世界でやっぱり毎日出来ない自分を責めて泣いていたかもしれない。わからない。でもそんな気もする。

 

それにブランクのある私を雇ってくれた女性部長はいってた。

「働いていたのが昨日かなってくらすぐ戻れるから」

それは結構正しいこと。

ツールなんてすぐ慣れる。30分で理解できる。

ほんとに大したこと無い。

それに仕事だってやっぱりあまり変わってない。

 

ただ。

歳はとっていたんだ、自分は。

それはもう強烈で。息苦しいこと。ママ友の間でもそうだったけど。

仕事場では矛先がこちらに向いてくることがあるので、痛い。

 

だから復職にオススメなのは、

酸いも甘いも経験して自分と同じ歳のころか、

歳上の人たちに囲まれて仕事をすることかな。

 

わたしなんかはそれで今なんとかやれてる気がする。

 

若い人たちは、かつてのわたしもそうだけど、

短絡的で、非常に焦っていて、センシティブで、理想が高くプライドが高く、

そして体力があって地力があって、とにかく自分と向き合いまくってて、

それゆえ邪魔なものが道に落ちてると避けるのではなく、

わざわざ向かってきて、踏みつけて、グリグリと潰して、

ワハハと笑っていくもんだから、私はとにかくボロボロになる。

 

 

 

中年。人生の折り返し。チャンスを掴まない人生。

人生でチャンスは必ずおとずれる。確かにそうらしい。私にもおとずれた。

 

1回目は、海外に赴任しないかと言われた時。

2回目は、辞めた会社に戻ってこないかと言われた時。

3回目は、出産後ブランクがあったが、いくつかオファーもらえた時。

 

どれも、怖くて自信がなくて飛び込めなかった。そういう性格らしい。

 

1回目。海外赴任を断った。当時付き合ってた今の夫と結婚間近で今海外行ったら破綻するなと思ったから。今考えると案外続いてたかもしれないし、夫じゃないすてきな人と出会えたかもしれないと思うと何を迷っていたのだろうと後悔している。

 

2回目。辞めた会社から戻ってこないかと言われたが、提示された複数のポジションが自分のスキルにあっていないと勝手に判断して断ってしまった。今思えば若かったし飛び込めばいいキャリアになってたと思う。何より本当にいい会社だった。そもそも辞めたのは不満があったからではなくて、キャリアップを目指してたからだ。

 

3回目。出産後ブランクがあったにも関わらずいくつかの会社でオファーがもらえた。知り合い経由で仕事も紹介された。どれも断った。

 

子供が小さくて、時短勤務がしたかったがそれが叶わなった。出産で患った心臓病の再発が怖かった。一つは残業やノルマが多いポジション。もう一つは、少し未経験の分野もあったがキャリア形成できそうなポジション。あとは、通勤があるポジション。最近のは、異分野だが夫がその仕事はしてほしくないと言われ、泣く泣く断ったポジション。

 

どれも面接を受けて好感触だったので今となっては勿体無いことをしたと思う。また次があるかと能天気だった。今コロナ渦もあって、ブランクが広がり年齢も上がり、社会復帰が遠のいたと感じる。

 

あの時、チャンスをつかめていたら。

 

そして今。育児と家事でそれなりに忙しい。それなりに幸せだ。小学校受験も志望校に合格できた。4月から一ヶ月。通学も慣れたようだ。幼稚園の時のような行き渋りもない。

 

私はもう中年。人生の折り返し。

体力と記憶力と視力の衰えを感じる。

 

チャンスはもう訪れないのだろうか。頑張っていないなとは思う。

産後英検一級も合格したし、コロナで頓挫したが国家資格の勉強もしてた。

今は、何もしていない。

 

昔諦めた夢の職業がある。

何をするにしてもお金が必要だ。

まずは働いてお金を得たら好きな事をしよう、と思って生きている。

でもその働き口がない。行き詰まっている。

 

いつか訪れるチャンスのために今は勉強をするべきとは思っている。

でも、中年。されど中年。まだ中年。

 

今度はつかめるだろうか。チャンスを。

 

 

プレ更年期障害

年齢的に、「プレ」更年期らしい。

異常にイライラする。夫婦喧嘩も絶えない。

元々生理前は、周りに迷惑をかけていた。

数年前、不妊でホルモン補充療法もした。

最近は、いよいよ年齢的に激減したのか、ますますイライラが激しい。

 

夫は、私が短気な性格だからだと非難し、

更年期のせいにするなと言わんんばかりだ。

血液検査で証明するしかないと思っている。

もしそうなら前向きに対処し、

なんとか残りの人生、喧嘩の少ない日々にしたい。

そんな理由で病院へ行ってもいいのか。

でも当の本人たちは切実な悩みを抱えているのだ。

 

出産は命がけ(周産期心筋症になった私)

出産は奇跡だ。

 

妊娠すれば出産できるわけではない。

危ない橋をなんとか渡れた人だけが、無事出産できる。

 

私は周産期(産褥)心筋症を患った。

妊娠中から浮腫がひどく、歩くと息切れがした。

よくあることと病院で言われた。

 

里帰り後、体重も急激に増えた。

よくあることと病院で言われた。

 

妊娠高血圧症だった。

 

夜、1時間おきに起きてはトイレにいっていた。

よく寝れない日々が続いていた。

最後の2日間は、決まって夜10時頃、割れそうな頭痛がした。

 

頭痛が続いたので、病院へ行って検査してもらった。

赤ちゃんは無事だった。

ひとまず帰った。

血圧が上がっていたら連絡するようにとのこと。

 

次の日の夕方、ふと母に言われて血圧を図ると150!

病院に電話したら即入院。翌日帝王切開で出産。

 

帝王切開した先生は、

「子宮もむくんでいた。危ないところだった」との事。

 

とっさの判断で病院に行ったのがよかった。

あの時、電話するか迷った。

あの時、病院へ行くのも迷った。

でも行ってよかった。

あの時行っていなかったら、今、私は生きていただろうか。

 

出産後の喜びにひたる間もなかった。

帝王切開の傷がひどく痛みトイレもままならない状況で、

乳首の形が悪いとかで授乳に苦しみ、

母子同室を強要され、またもや眠れない日々が続き、

気がついたら、横になると呼吸困難に。

後で調べると、起座呼吸というらしい。

ヒューヒューという音が胸からしていた。

 

「あ、これは普通じゃない。私死んじゃう。」

 

とっさにそう思った。

 

あまりウルサイ患者と思われるのが嫌で

症状を訴えるのを控えてしまうタチだが、

今度ばかりは言わないとこのまま死んでしまうと思った。

 

今思うとひどい産院だった。

テレビで取り上げられたりしていたけど、外面がいいばかりだ。

 

妊娠高血圧症だったのに塩分制限なく、

むくみがひどいと訴えたら水をたくさん飲めと言われた。

目標は一日1.5リットルから2リットルと言われた。

転院先の病院で聞くと、それはいくらなんでも多すぎるそうだ。

 

そのことが、急激な体重増加につながり、

心臓に負担をかけ、肺に水が完全に浸かっていた。

胸の音はそのせいだった。

 

幾度と無く不調を訴えても「よくあること」と済まされていたが、

口で訴えてもだれもわかってくれないので、

苦しいけれど横になってぜーぜーしているところを診てもらった。

やっと、ことの重大さを理解したのか、

別の病院へ連絡してくれた。

 

その病院は、すぐ救急車で来るようにとのこと。当たり前だ。

自分でもわかる。”なにかがおかしいのだ。”

 

今考えると予兆はあった。帝王切開の前日の夜。

なぜか不自然に急に左の奥歯が痛むのだ。

ネットで調べると「心不全」と出る。

「まさか」とその時は思った。

でも、火のないところに煙は立たない、のだ。本当に。

 

CTやレントゲン、エコー検査の結果、

心臓機能が、普通の人の3分の1しか動いていなかった。

 

心不全と肺水腫

 

周産期心筋症の疑いとの診断だった。

CCUに運ばれた。

 

私が?なぜ?

 

あちこち点滴打たれ、採血や検査をする。

産んだばかりの子どもに会えない日々が3週間続いた。

毎日泣いてばかりで、夜も寝れないので睡眠薬を処方された。

 

薬により毎日体重が3kg減っていた。

退院する頃には、全部で14kg減っていた。

全部、体の中に溜まっていた「水」だったそうだ。

 

心臓カテーテル検査の結果、間質に線維化があるとのこと。

治る範囲と言われたが、私は半信半疑だ。

 

だって先生によって、言うことが違うんだもん。

 

最初に言われたのは、

「残念ながら、歳の割には線維化があった」

「妊娠する前から炎症があった可能性が高い」

とか。

 

は?私、心臓弱かったの?

 

確かに、山登りやサイクリングで息切れがひどいとは思っていた。

それもこれも、太ってしまったからだと思っていた。

 

両親が、いつ頃から心臓の線維化が始まっていたのか

はっきりしてほしい、と詰め寄ると、

なぜか病理科の部長と言う先生が出てきて、

 

「線維化は間質だけで、将来治る」

「線維化は、妊娠の期間中に起きたと考えられる」

 

と、以前とは全くことなる見解を述べてきた。

は?

 

あまり悪い結果を聞かされるのも辛いけど、

だからといって、甘い判断で良い結果を伝えられて、

後で悪くなっても本当に困るのですけど。。。

 

確かに私も、私の両親も事によっては

病院を訴える気構えがあり、質問もやたら多い。

詳細に症状を聞きたがる方だが、患者としては当然じゃないだろうか?

 

里帰り先の病院なので、いずれは転院する事がわかった途端、

あまい診断結果を伝えられて気持ちよく去ってくれ、みたいな方向になるのは

ひどすぎる。

 

医者ってそういうもんだろうか?

もちろん、医者だって人間だ。

だからといって、ウルサイ患者が別の病院に転院になるからといって、

急にあまい診断を告げてくるのってずるくないか?

 

今の病院は、転院してきた私を

「よくしらない患者」みたいに扱う。

紹介状や資料もまともに見てくれない。

確かに膨大な量だ。でも診てもらえないと困る。

これからずっと通うことになるのだから。

 

今度こそあの部長さんに言おう。

できれば、エコー検査の結果少し弱いと言っていた

私の心臓の動きが前からなのかどうかを。

忙しそうにはしてるけど、私だって一人の患者なのだ。

もう、手遅れになるとか、軽く扱われるのは嫌だ。

 

皆さん、医者はえらいけど、えらくないよ。神様じゃない。

間違いも犯すし、めんどくさがる。

ウルサイ患者はなるべく関わらないように扱われる。

 

数々の医療の小説や漫画が教えてくれる。

医者だって、面倒くさい患者は嫌なんだ、と。

 

だったら、患者の方だってなんとか賢く診てもらわないと。

受け身になって、言われるがままでいたら見過ごされる。

「すみませんでした、見過ごしていました」と行って、

死んでから言われても遅いのだ。

 

自分の身は自分で守らなくちゃいけないのだ。

 

それを学んだ。

里帰り出産の苦悩

なんで里帰り出産なんてしたのか。後悔している。

ストレスがたまる一方だ。本当は嫌だったのに。

 

里帰り出産するか迷っているときに、

出産経験者に話を聞いた。

できれば里帰り出産したほうが、母親は楽なはずだと言われた。

娘の家に来るのは母親にとって負担になるのだそうだ。

母が父を置いて来る事もできないだろう、とも思った。 

 

私の夫は育児休暇を取ると言ってくれたので、

最悪、母が家に来てくれなくてもやっていけると思った。

母は孫を本当に楽しみにしている。

だから、母を思いやって、里帰り出産してあげたと思っている。

 

私は父と母とも、考え方も生活も何もかも合わないのはわかっていた。

だから本当は里帰り出産はしたくなかった。

 

世話になっているくせに。と人は言うだろう。

私にしてみれば、世話を焼かせてあげているのだ。

 

それに、里帰り出産中の費用も出した。

受け取らないかな、と思ったけどあっさり受け取ってた。

 

時々、「いつまでここにいる気だ?」的な質問を父も母もしてくる。

私だって一刻も早く帰りたい。今だって病院変えて帰りたい。

自分は私を生むとき、6ヶ月も祖母に世話になってるくせに。

 

よく考えてみれば、私が里帰りする前、

あんなに父親との生活がもう嫌だ、と愚痴をこぼしていたくせに。

 

もうこんな未熟な親の元にいるのは嫌だ。

私も未熟かもしれない。未熟と未熟の生活は悲惨だ。

大事なこと

精神的に未熟、とは。

逆に、成熟した大人とは?

 

「余裕がある人」だと思う。

 

私が思う、「余裕がある人」とは?

・自分が知らない事に動揺しない、(質問する)

・相手に変化を求めない、(自分が変われる)

・先に人に与える、(損得勘定しない)

・話を聞いてくれる、(自分と関係無いと聞き流せる)

・どこかユーモアがある、(客観的に自分を見る事ができる、相手を喜ばす優しさがある、枝葉末節にとらわれず大事なことがわかっている気がする)

 

割りと、ドライな人、と言えるかもしれない。

 

 

だから、精神的に未熟、とは、

余裕がない人。

 

余裕がない人は、

・知らないことを指摘されるとムキになって反論し、

・思う通りにならないと相手を批判し、

・自分にメリットがないと冷たいまま、

・大抵自分ばかりが話をし、

・オチのない話や愚痴、悪口が多い。

 

つまり、

物事を自分の価値観でしか見れず、相手を尊重できない人、

だと思う。

 

割りと、人との距離感が近い(世界が小さい、視野が狭い)。

 

世界は広い。人もそれぞれ。

自分が頑張れば、世界がどうにかなるなんてとんでもない。

上には上が必ずいるし、

自分が間違っていることなんてたくさんあるし、

知らないことの方が多い。

年下年上なんて関係ないし、

国や人種だって関係ないのはもちろんだ。

 

それでも、万国共通して、人間は笑う。

それに、食べる。

美味しい食べものとユーモアは人をつなぐ。

 

人との関係で大事なことなんてそれくらいだ、と思う。